.> 秋水の日露戦争への反対は非戦論という形で展開されたが、それが戦争を遂行する明治政府の逆鱗に触れ、秋水は38年の2月に官憲に検挙されて、禁固五ヶ月の刑を受けた。.> 秋水の非戦論は、道徳的な見地からと、社会科学的な見地からと、両面からなされるが、プロパガンダとしては、国民の道徳感情に訴えるというのが主要な方法となった。秋水は、戦争が人々の生活を直撃し、その道徳感情をそこなうことを以て戦争の罪悪とし、人々に非戦を訴えたわけである。それ故秋水の非戦論は、次のようなプロパガンダ的呼びかけによく現れている。.> 「われわれは絶対に戦争を否認する。これを道徳の立場から見れば、おそろしい罪悪である。これを政治の立場から見れば、おそろしい害毒である。これを経済の立場から見れば、おそろしい損失である。社会の正義は、これがために破壊され、万民の利益と幸福は、これがために踏みにじられる。われわれは、絶対に戦争を否認し、戦争の防止を絶叫しなければならない」(中公版日本の名著、伊藤整責任編集による現代語訳、以下同じ).> 一方秋水は、戦争の原因を社会科学的に分析してもいる。すでに「帝国主義論」を執筆していた秋水は、日露戦争を帝国主義国家間における勢力争いととらえていた。もっとも秋水は、平民新聞等に寄稿した文章のなかでは、帝国主義という言葉は使っていない。愛国主義とか軍国主義とかいう言葉を使って、日露両国がそれぞれ国民の愛国心に訴え、軍国主義を鼓吹することで、国民を戦争に駆り立てていることを指摘しているのだが、その愛国主義とか軍国主義という言葉は、秋水が帝国主義の根本的な要素として取り上げたものだったのである。.> 秋水は言う。「戦争は、いつも政治家・資本家のためにたたかわれているにすぎない。領土や市場は、いつも政治家・資本家のためにひらかれているにすぎない。多数国民・多数労働者・多数貧民のあずかり知るところではないのである」と。そこからして秋水は、日本国民のみならず、ロシアの人民に向かっても、戦争に反対すべく呼びかけるわけである。.> しかし秋水に呼びかけられた当の日本人たちは、秋水の呼びかけには答えないで、かえって戦争に酔いしれ、狂い騒いでいる。そのことを秋水は次のように言って、嘆いている。「政府も国民も、酔っぱらっている。都会も農村も、狂っている。酔っぱらってその仕事を忘れ、狂ってその職務を投げ出して、やおらに万歳をさけんで走り回り、大勝利をとなえておどりあがる。四千万の頭脳に、まさに一点・半点の常識がない。なんという醜態であるか」と。.> こうなったことの責任の大半を、秋水は日本の新聞・雑誌に求める。いまでいう、ジャーナリズムとか情報メディアと ...https://philosophy.hix05.com/Japanese/shusui/shusui06.nowar.html